君が僕に残したものは

君は思い出の場所に立っていた僕を見つけると、優しく声をかけた。



「久しぶりね、こうやって話すのって」



僕らが今まで過ごした時間の中で、この時の彼女の言葉を僕は鮮明に覚えている。不思議なくらい透き通っていた彼女の声。僕はその声を聴いて、改めて僕には彼女が必要なのだと思った。



「私達はもう会わない方がいいのかもしれないね」

「え・・・?」

「さようなら」



その時、水面に落ちる一筋のしずくが僕の頭に浮かんだ。水面は少しずつ波紋を広げていった。何故だろう、その時僕は自然と泪で頬を濡らしていた。突然告げられた言葉の意味を理解しようと彼女の表情を見た。けれど、泪で濡れて彼女の表情を確認できなかった。右手で涙を拭い再び視線を戻すと、彼女の背中はもうずいぶん遠くまで離れていた。僕はいったい何が起こったのかわからなかった。唯一把握できたのは、その日はとても強い雨が降っていたということだけだった。




夏の陽気が僕の気持ちを更に暗くさせる。嫌味なほどに照りつける太陽が、僕だけをその場で浮いた存在にさせている。滴る汗を流れるままに歩く僕の後姿は、さぞ近寄りがたい雰囲気を醸し出していることだろう。

雨の季節は人を物思いに更けさせる。どうってことない事をアンテナが受信して、あれこれと考えてしまう。なんで、女子高生のスカートはどんどん短くなるのだろうとか、体を焼くのが流行ったあとになぜ美白ブームがやってくるのだろうとか・・・。ありとあらゆるものが僕の視覚から脳へ伝達され、僕の知らない色んな感覚器官が活発に活動する。表面に出ている部分とは対照的に、体の内部では想像することができないほどのスピードで処理が行われている。いまさら何を考えるというんだよ。



彼女との距離は次第に離れていっていたのだ。交わす言葉の数も、お互いの気持ちを伝える回数も、一緒に過ごす時間も。飽きもせずに語り合ったあの日々、偶然を装って彼女を待ち続けた時間、突然泣き出す君の姿、気づかないフリして通り過ぎるよそよそしさ、無断欠席した英語の授業、返事の来ないメール、留守番電話のメッセージ・・・。



日に焼けた女が黄色い声を挙げながら男と歩いている。突然怒り出した女に男は強引に唇を奪った。不意を突かれて驚いた様子だった女は、次第に頬を緩ませて男に微笑んでみせた。人目を気にせず口づけを男に返す。僕もあんなふうだったのだろうか。今となってはもう思い出せない。



「僕の話を聞いてくれないか」

今となっては少し古いと思いながらも僕は彼女の家のポストに手紙を入れた。メールにも電話にも反応を示してくれない。それなら手紙で気持ちを伝えよう。時間が問題じゃなかった。お互いの気持ちを知ることが僕にとっての解決策だった。僕は催促もせずにただ待ち続けた。



まばらな人を乗せた終電は、様々な想いを乗せて緩やかなスピードで都心を目指していた。僕はうなだれながら、早く目的地へ着いてしまえばいいと思った。自分の気持ちとは裏腹に鮮明に思い描くこの頭をどうにかして欲しかった。あんなに大好きだった雨の季節は、今の僕にとってはもっとも嫌いな季節となってしまっていた。



「話がしたいの」

意外なほど早く返事が僕に返ってきた。彼女のいない向かい側の席を見つめながら学食でカレーを食べていると、彼女の方から声をかけてきたのだった。僕の心は躍り出したくなるくらい高揚したが、彼女は学校が終わったらいつものあの場所で待っているとだけ告げると、背を向け行ってしまった。僕は興奮する気持ちを抑えつつも、彼女の後姿に陰りを感じたのを気にしていた。



乗客を吐き出した電車は僕を下ろした後にゆっくりと走り出した。急ぎ足で階段を駆け下りてきた中年のサラリーマンが、無常にも自分を置き去りにしていった電車を失意の目で見つめていた。僕は彼がその後どうなるのかを気持ちとは裏腹に冴え渡る頭で思い描きながら家路に着いた。終電を逃した後のファミレスほど惨めな気持ちになるときはない。彼もまた店員に冷たい視線で見られながら朝を迎えるのだろうか。



ふと見上げた夜空には、不思議なくらい多くの星が輝いていた。